2012年2月17日金曜日

ニコライ堂 (”ジョサイア・コンドルと東京の建造物” 「東京物語」176ページ)

Николай-До (Токийский собор Воскресения Христва Японской православной церкви):
("Джошуа Кондер и архитектура Токио" Токио моногатари стр.176)




Собор был построен Кондером по первоначальным эскизам российского архитектора Щурупова. Строительство началось в 1884 году и было завершено в феврале 1891 года.

1891年竣工。
ロシアの建築家ミハイル・シュルーポフが原設計、コンドルは施工設計をおこないました。

1923年の関東大震災の時に焼損しましたが、1927年から1929年にかけて岡田信一郎の設計により補強と修復が行われ、外観が少し変わりました。


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編集長投稿ジョサイア・コンドル建築シリーズ。第4弾です!(・∀・)
完成当時の大聖堂は、都内の多くの場所から見える話題のランドマークだったそうだ。
今のスカイツリーのような感じでしょうか。
詳しくはぜひ「東京物語」で!

※ご購入、お問い合わせはロシア語通訳協会へ。メールかFAXで※



ニコライ堂と言えば、併設されていた「ニコライ学院」。ロシア語と英語の講座が行われていました。
残念ながら1996年に120年の歴史に幕をおろし閉校したのですが。

長い間にいったい何人の生徒が、講師がここで学んだのだろう。
例えば明治のイコン画家山下りん氏、「リトアニア命のビザ」の外交官杉浦千畝氏なども、講師として教壇に建っていた。
新しい世代では東京バレエ団プリンシパルの斎藤友佳里さんも、ロシア留学の前ここで学んだそうだ。

実はブログアップ担当の私も、このニコライ学院出身。
正門向かって左の建物が、当時の校舎。
ここの内装もシュルーポフ氏の作だったのだろうか?
とにかく、一歩中に入るとそこはもうロシア!という独特の雰囲気が大好きでした。

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2 件のコメント:

  1. ニコライ大司教の墓地は、谷中霊園にあります。
    徳川慶喜や渋沢栄一、横山大観、長谷川和夫、森繁久彌など著名人が数多く眠っているあの谷中の墓地です。
    ウィキペディアによると、「1970年に谷中墓地の折に棺を開けると不朽体が現れた」とあります。
    なぜロシア人宣教師が、谷中に眠っているのか・・どなたか由来はご存じないでしょうか。

    谷中で生まれ育ったという方と偶然お会いして、ご一緒に墓地巡りをしましたが、おもしろかったですよ。あっという間に1日が・・・。少々、年寄りじみた趣味ではありますけれどね。
    焼失した五重塔の火災の原因も、諸説様々で興味をそそられます。

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  2. コメントをどうもありがとうございます!確かにとても興味深いですね。
    由来は分からないのですが、日本正教会の公式サイトにニコライ大司教の晩年、永眠の時、3000人が集まった会葬式、聖堂から谷中の墓地へ葬列(十字行)、埋葬のようすなど、詳しく書かれています。よろしければご参考に。
    http://www.orthodoxjapan.jp/tenjou.html

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